2013年10月26日

Ramazan

病的な内戦状態が終わらぬシリアでまた惨劇が起きた。

モスク前で自動車爆弾爆発、子ども7人を含む40人死亡 シリア 2013年10月26日ベイルート/レバノンAFP

>シリアの首都ダマスカス(Damascus)近郊の町スーク・ワディ・バラダ(Suq Wadi Barada)で25日、モスクの前に置かれた自動車爆弾が爆発し、子ども7人と女性1人を含む少なくとも40人が死亡した。AFP





「自動車爆弾」
戦争らしく兵士同士が銃撃戦でもやっていればいいものを、各国から職業的テロ軍団が蝟集しているため、陰湿なテロ攻撃が常套手段になっているようである。
あれだけ混沌としてれば、もはや誰の仕業か絶対に分からないだろう。毒ガスと同じく犯人は闇の中だ。

死にたい連中は勝手に爆殺でもやり合って好きなだけ死ねばいい。
問題は「なぜ子供を巻き込むのか」である。

怒りで頭がどうにかなりそうだ。

だが冷静さを失えば、バカのようなキレイゴトや脳天気目線のヘリクツが頭の中でリフレインして終了であろう。自分が思考停止してる事にすら気がつかぬという「日本脳炎症候群」である。


行き着く先はひとつ。
「なぜテロは起きるのか」

「欧米を中心にして動くこの世界は、本当に正しい事をしているのか?」
それが答。



テロリスト=極悪非道、残虐な殺し屋

この概念がなかば常識として罷り通り、自分自身もいつしかそういうイメージで記事を書いている。
しかし、これは本当なのか?

確かに一昔前の9・11テロや世界各地で起きる一般人を巻きこむ残虐なテロの数々を見ればその通りに思える。

でもそれは「西側目線」から見ればの話。

公表されてる分だけも、「犠牲者の数」をカウントしてみればいい。欧米側(つまり我々が)、殺した数とテロリストと呼ばれる連中が欧米側を殺した数。

ニューヨークで千人が死ねば、中東人を100万人殺してもいい。それを認めているのが「我々の世界」である。

そもそも何故テロリストと言えば中東なのか。
オカルト陰謀論者の語る「ユダヤのせい」か?

たしかにイスラエルの存在は微妙である。
だがそれが中東をテロのメッカにしているのではない。

石油だ。
それ以外の理由はない。

話がこういう方向に向くと、必ず「では中東人が完全な被害者だとでも言いたいのか。彼らは元々野蛮で教育水準が低く、男尊女卑で人権意識がない。その証拠にどの国も独裁者ばかりじゃないか」と、そんな風な事を言い出す方もいる。

そういうのを典型的な「西側目線」という。
すべて「自分のおかれた環境・価値観」でモノゴトを判断しているのである。
イスラム史も近現代史もまるで知らぬのであろう。

人権意識ウンヌンは文化干渉であり、それ以前に歴史を遡るべきであろう。「西側とやら」が偉そうに人権を語れますかということ。

振り返れば、貧者に優しいイスラムが爆発的に信者を増やし、それに危機感をおぼえた「金持ちや権力に優しいキリスト教」が互いに戦争を続けてきたと、歴史は教えている。



独裁者に至っては、石油権益の安定化のために西側とやらが創り出している。

国境線などなかった中東に「国」を作り出したのは誰なのか。石油が「お金を生む水」だと分かった時期から内乱やクーデターばかり起きる理由は何なのか。

独裁者を生み出す怪物を許せない民衆が復讐のために銃を取って戦う。なぜならいくら独裁者を打ち倒しても、彼らが操り人形でしかなく、すぐに「代わり」が民衆を抑圧して富(石油)を独占する事を学んで知っているからである。

背後にいる黒幕を倒さないと終わりがないのだ。
たとえ倒せない巨大な怪物であっても戦うのみ。

それを封じ込める為に西側はハリウッドなど全てのメディアをフルに使い「テロリスト=悪」を喧伝し、「対テロ戦争=正義」という幻想をふりまく。


プーチンのロシアでも悲惨なテロが起きる。
起こしているのはロシアに国を侵攻されて家族を惨殺された者達であろう。
こちらも侵攻の理由はやはり石油(やガス)だ。


その石油の恩恵を享受し、出っ張った下腹を撫でながら、黄色いクチバシで「テロリストは許せない」「国際ルールや人権を守るべき」とのたまうのが、我々「西側先進国のヒト」という構図であることを理解しておくべきだろう。

こうした構図は日常の対人関係にまで矮小化して当てはめることが可能である。

【テロが減らない理由】
と、
【いじめが減らない理由】
は、同じ根を持っているからだ。

親、教師、世間の大人全部が「たてまえ論」しか語れぬ社会で、どうやって子供に「人間の矛盾」を教えられるというのか。

「日本再生の為に原発は必要なんです」と主張し、その方向に進む自民党をバカ勝ちさせておきながら、一方で「原発がれき」や「福島の物産」を毛嫌いするヒステリックなまでの放射能過敏症というアリサマ。

こういう醜態を連発しておいて、子供に何をどう教育できるのだろうか。
子供が大人の欺瞞やウソを見抜けないとタカをくくり、適当にいなしても子供は鋭くそれを見透かしている。

日常的に「自分さえ良ければいい」という態度を取り続けている者が、子供に向かって「悪さしてはダメ」と。


なぜ世の中が嘘と欺瞞に満ちていると教えない?
どうして「えらい人はいい人」なのか。

正直に「狂っている」ことを伝えるべきであろう。
そして、それに「負けてはいけない」と諭すのがヒトだ。

「本当に目指すべき道」を教え、それに立ち向かって戦える為の勇気や頭脳を鍛えるのが教育じゃないのか。

銃を持って立ち上がるだけが戦いではない。
間違っているものを「正しくない」と堂々と言える大人になるための戦いもある。

それが出来ないのであれば、せめてホンネを子供に語るべきであろう。
「他人を押しのけ、弱い人は蹴落として、ずる賢く立ちまわって偉くなれ。とにかく自分だけ上になればいいから」
綺麗事を語っても、どっちみち子供はそう理解しているのだから。


NHK的「おもてづらオンリー」と、民放局の「バカの連発で思考を奪う」という繰り返しをいつまで続けているつもなのか。
どんだけ賢そうな顔をしても、誰一人「本当のこと」を語れない社会。それ以前に、もう「本当のことを知らない」のかもしれないが。

「原発は日本の経済のために必要なんだよ」
子供は「廃棄物はどうするの?」とは尋ねまい。
正解を知っていても黙っているからこそ、心を病み続けているのである。


ヒトを含む生命体の第一義は子孫を残すことである。
したがって命をかけて次世代を育むのが自然の掟。
しかし、なぜか現代人は子や孫の将来まで担保にして喰らい尽くそうとしている。どうやら我々は「子殺し文明」に突入しているようである。





最後に、三十年以上前につくられた歌を二曲紹介しておきます。


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黙っているのは 卑怯なことだと

おしゃべり男の 声がする

命があるなら 闘うべきだと

おびえた声がする



上着を着たまま 話をするのは

正気の沙汰では ないらしい

脱がせた上着を 拾って着るのは

賢いことらしい

・・・・・・

裸足はいかがと すすめる奴らに限って

グラスを 投げ捨てる

ささくれひとつも つくらぬ指なら

握手もどんなに 楽だろう

・・・・・・

かかとを切り裂く 痛みを指さし

心の熱さと 人は呼ぶ

ここまでおいでと 手を振り手招き

背中へ ガラスを降り注ぐ



一人になるのが 恐いなら

裸足で 裸足で 

ガラスの荒れ地を

裸足で 突っ走れ



中島みゆき【裸足で走れ】から抜粋 

アルバム「親愛なる者へ」収録曲(1979年)




posted by 魚山人 at 14:53 | Comment(15) | TrackBack(0) | 時事ニュース寸評 | 更新情報をチェックする